「孫子」(僕の読書について)

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なおです。

 

最近、30代からの愛読書である「孫子」を再読しています。

それというのも、先日、「真説孫子」著者デレク・ユアン 訳者奥山真司を読んでからその本に記載されていることが本当なのか調べたくて読み返しているところです。

 

僕が持っている「孫子」の本は岩波文庫版 訳金谷治と中公文庫版 訳町田三郎と徳間書店版 訳村山孚の三種類なのですが、どの訳をしている人も、中国哲学や中国文学を専門にしている方で、「真説孫子」の著者や訳者の様に戦略学の専門家ではない為か、「真説孫子」で指摘されているところなどを、読み返してみるとなにか物足りなさを感じてきました。

もっとも、「真説孫子」での主張は西洋的な論理思考での研究には欠陥があり、本当に「孫子」を理解できないといったようなものでしたので、日本の「孫子」とはだいぶ状況は違うのですが・・・(日本でもちゃんと理解している人がどれだけいるか本書を読んで疑問に思えてきました)

 

 

僕は、別に軍事マニアというわけではなく、海音寺潮五郎の「孫子」(小説)を読んで、興味を持ったのが「孫子」を読むきっかけでした。

 

「真説孫子」の訳者奥山真司によると、日本で「孫子」を兵書(国家戦略本)としての狙いをそのまま汲んで出されている解説書はわずかしかなく、第二次世界大戦後に戦争を行っていないという事情が大きいため、本来の意味で研究している英語圏とは扱いが際立っているとのこと。

 

確かに、日本で孫子関係の本が数多く出版されていますが、ビジネス書として読み替えて出版されているケースがほとんどで、いかにも日本人らしいと思います。

ビジネス用語も戦争用語から来たのが多いからだと思います。

ビジネスも戦争も「資源の選択と集中」の問題であり、優れたリーダーは、「問題設定のプロ」だと理由が多いからでしょう。

(誤解してほしくないのは、経営者の仕事は問題解決ではないということです。問題解決は、マネージャーなどの仕事です。この点はいつか書いてみたいと思っています)

 

 

孫子」を読めば「呉子」も読みたくなりますし、そうなると武系七書の残りの「尉繚子」「六韜」「三略」「司馬法」「李衛公問対」も読みたくなります。

 

ただ、上記の本を理解するためには、中国の歴史などある程度知らないといけないと思い、困りました。(幸い、海音寺潮五郎の「孫子」は孫武呉子と孫臏の話が書いてあり比較的理解しやすかったのですが・・・とその当時は思っていました)

 

10代20代前半は司馬遼太郎山岡荘八、吉川英二などの歴史・時代小説を好んで読んでいたため、日本史に関しては、体系的ではなくとも輪郭はとらえていたつもりでした。しかし、中国史となると全く知らないといっていいくらい無知でした。

 

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」「空海の風景」や「韃靼疾風録」や吉川英二の「三国志」や陳舜臣の著書などは読んでいたのですが、春秋戦国時代の事について書かれた小説が少なかったのでイメージしにくかったです。(やはり、小説形式で読むと、かなり理解が深まります。著者の力量もあるので、面白く読めるかどうか?小説の性格上史実に基づいているか?などの問題はおいておいて)

 

ここ10数年前当たりから中国の歴史(特に古代中国)を題材にした小説を本屋で見かけることがあり、購入しています。宮城谷昌光・塚本靑史(歌人塚本邦雄の息子)・小前亮などの小説がそれです。

特に宮城谷昌光は多作なので、文庫化されるたびに購入しています。それで、だいぶ理解が進みましたが、いずれ、史記や春秋左氏伝などの本を通して読んでみたいと思っています。

 

小説も目的意識を持って読まないと全くの娯楽となってしまいます。

小説でもなにかを得たいと思っている僕としてはストーリーのみの小説はあまり読む気にはならないですね。(暇つぶしにはなりますが・・・)

 

疑問を持って再読する本があるというのは、幸せなことだと思っています。(逆に言えば何回も繰り返して読める本は最近の出版物では少なくなっていますね。)

 

自分の古典を作るということですね。

 

今日はこんなところで失礼します。